クリスマスはどうして恋人のイベントなのか
台湾へ行ったり仕事ででかいイベントがあったりなんだりでちょっと間があきました。
いつのまにか、世の中はもうすぐクリスマスですね。
昔から不思議に思ってることがあるんですが、日本におけるクリスマスってどうして「恋人同士で過ごす日」になっちゃったんでしょうか?
言うまでもなくクリスマスというのは「イエス・キリスト」の誕生日なんですが、多分日本生まれ・日本育ちでおうちがキリスト教じゃない場合、ほとんどの人はクリスマスとの最初の接点は「サンタさん」でしょ。
子どもたちにとっての「クリスマス」は「いい子にしてればサンタさんがプレゼントをくれる日」でしょ。で、その子どもたちが大きくなると自然とサンタさんは来なくなって、「とりあえずツリーとか飾ってみて、なんとなくチキンとか食べたりして、普通におとーさんおかーさんからプレゼントをもらったり、友だち同士でプレゼント交換したりする日」になるんじゃないかな。
それが、もう少し大きくなって彼氏・彼女ができるような年になると、途端に「恋人と過ごす日」になる。
なんで???
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で、自分なりにクリスマスにおける恋人要素について考えてみる。
恋人要素その1:イルミネーション
クリスマスになると街路樹にイルミネーションがかけられたりして、夜の景色は大変きらびやかになりますよね。普通に街を歩くだけでも「夜景デート」って感じになる。あれは確かにロマンチックだし、家族と行くより恋人と行くほうがいいというのも頷けます。おとーさんおかーさん、夜外に連れ出すと寒いしね。
恋人要素その2:プレゼント
クリスマスにおけるプレゼントといえばサンタさんがくれるものだけど、サンタさんが来るのは子どものときだけです。サンタさんが来ない年になると、それ以降はサンタさんじゃない人がプレゼントをくれたり、自分がプレゼントをあげたりするようになります。
そのプレゼントをあげる、もらうという要素だけを見れば、友だちや兄弟にあげるならそれより恋人にあげたい、って感じになるんでしょうなぁ。なんでもない日にプレゼントっていうのも照れくさいから、口実の一つとしてとか、プレゼントをあげる機会の数増やしに、みたいなのもありそう。
恋人要素その3:クリスマスディナー
ある程度成長してくると、家族みんなでパーティっぽくワイワイご飯を食べる、みたいなのが照れくさくなる時期が来ますよね。正月と違って親戚が集まったりもしないので、おせちなら仲良しのイトコたちと一緒に食べれても、いつものおとーさんおかーさんおにーちゃんおねーちゃん…のメンバーでワイワイごはんってのも、なんか気まずくなっちゃったりするんでしょう。
だから家族じゃない人と過ごそう、となる。んで、ここで更に要素その1と2とが合わさると結果的に友だちよりか恋人と外でクリスマスディナー、となるんだろーな。
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ぱっと思いつくのはこれくらいなんだけど、これ、どれも「クリスマス」そのものではなくて「クリスマスに付随するもの」なんですよね。「お正月が好き」なんじゃなくて「おせちが好き」みたいな。
で、その「クリスマスに付随するもの」がたまたまどれも家族より恋人としたいことばっかりだったから、なんとなくみんなそれらを恋人とするようになって、いつしか「え?クリスマスに恋人と過ごさないの??」みたいな感じになっちゃったんだよね。きっと。
「クリスマス」そのものでなくて「クリスマスに付随するもの」だけに目を向けてしまうのは、やっぱりキリスト教じゃない人が多いから、というか、「クリスマスに恋人と過ごす」という習慣を作ってる、またはそれに乗っかってる多数派の人たちがキリスト教じゃないから、なのでしょうね。
多分、お正月に恋人にお年玉あげる・もらうとか、恋人とふたりでおせち食べる、みたいな人ってそんなに多くはないよね。親戚を家に呼んだり、親戚の家を訪問したりする人が多いんじゃない?
でもそれは日本がそういう習慣だからであり、お正月に付随するものだけに目を向けているわけじゃないからであり。
日本のそういう習慣に染まっていない人ならば、日本におけるクリスマスと同じように、「正月だからとりあえずおせち食べよう、家族よりも恋人と会いたいから恋人と食べよう」→「え?正月に恋人と過ごさないの?ナウなヤングのくせにチョベリバ〜」みたいなことになるのかもしれない。
どうでもいいことですが、あたしは正直クリスマスはそんな好きじゃないです。
世の中の浮かれてる人がむかつくとかじゃなくて、クリスマスにケーキ屋で働いていた時に結構つらかった思い出があるからです。
ケーキ屋さんはすごいですよ。ケーキ屋と言う名の戦場、オーブンと言う名の戦車、ケーキという名の銃弾、店員という名の戦士です。心から尊敬します。あたしはもう、あんなところでは二度と働けませんです。
それでは〜