三々五々

日常の中で考えたこととか、自分の生活の中で体験して得たこととかを発信していきたいと思います。

ポケモンと人生って実はめっちゃ似てない?

この前の記事を書いていて思ったことだけど、勉強をゲームに例えたらわかりやすいんじゃないかなと思ったので、私が子どものころ最も親しんだゲームである『ポケモン』に例えてみる。

ポケモン』というゲームの目的は色々あるけれど、その中でもわかりやすいもののひとつとして、その地方で最も優れたポケモントレーナーである「四天王」を倒す、という目的がある。

だけど最初から四天王を倒すなんて、当然ながらできない。そもそも四天王って誰なのかわからないし、どこにいるのかも、どんなポケモンを使ってくるかもわからない。もちろん、どれくらい強いのかもわからない。

そもそも、ゲームを始めた段階ではポケモンというものがどんな生き物なのかも知らないし、何種類くらいいるのかも、どうやって戦うのかもわからない。

だから、主人公は最初は博士からポケモンをもらって、戦う方法や捕まえる方法を教えてもらう。そして各地へ冒険の旅に出て、もらったポケモンを野生のポケモンと戦わせたり、新しいポケモンを捕まえたりする。旅をする中で色んな野生ポケモンに出会って、どんなところにどんなタイプのポケモンがいて、それぞれのポケモンがどんな戦い方をしてくるのかを知っていく。
これが勉強であり、毎日の宿題みたいなもの。

そして旅を続けていくと、色んな町にたどり着く。それぞれの町には『ポケモンジム』があって、主人公はその『ジムリーダー』に挑戦することになる。ジムリーダーを倒すには強くなる必要があるし、勝てば『ジムバッチ』をもらえて、次の町のジムリーダーに挑戦する資格を得ることができる。
これが言うなれば定期テスト

そして各地のジムリーダーを8人倒すと、やっと四天王に挑戦する資格を得ることができる。だけど四天王のいるポケモンリーグへたどり着くためには、強い野生ポケモンがうじゃうじゃいるチャンピオンロードを進まなきゃならない。
これが受験勉強みたいなもんかな。

そして晴れてリーグにたどり着いて四天王を倒せば、おめでとう!目標達成!
これが「卒業」とか、「成人」みたいなものかな。

そこからは、決められた目的とかは何もない。集めそこねたポケモンを集めるもよし、友だちと対戦するもよし。何をやってもいいし、何もやらなくてもいい。
これが大人の世界。

ーー

野生のポケモンをたくさんを倒すという経験を積むと、どのタイプにはどのタイプが有効なのかわかるようになる。
例えばでんきタイプにはじめんタイプの技が有効ということを学んでいれば、野生のピカチュウが出てきたときにじめんタイプの業を出す事ができる。

また更に経験を積むと、知らないポケモンが出てきたとき、攻撃してみることでそのポケモンの弱点がわかるようになる。

例えばみずタイプの業を出してみて効果がいまいち見られなかったとき、みずタイプに耐性があるのがくさタイプであることを知っていれば、相手の弱点がほのおタイプであることがわかるので、じゃあリザードンに交代!ってこともできるわけです。
そして、ほのおタイプのポケモンであっても一人ひとり、使うポケモンは違います。
人によってはブーバーだったりロコンだったりするでしょう。
でもブーバーでもロコンでもリザードンでも、野生で出会って捕まえておかなければ、戦闘に出すことはできない。
だから野生ポケモンと戦い、捕まえる(勉強して、学ぶ)ことが必要なんです。

 

勉強は経験値稼ぎ、レベル上げに相当する。
微分積分は使わないから勉強する意味がない」というのは、「チャンピオンのワタルに勝つために野生のポッポを倒す意味がない」と言ってるのと似ている。

もちろん、カイリューを倒した経験があるほうが、チャンピオンのカイリューを倒すには有利なのかもしれない。でも、カイリューに勝つためにカイリューだけ倒す練習をするのは違うし、そもそも普通に冒険しててカイリューというポケモンと出会う機会なんてそうそうない。カイリューが出てきたときだけ戦おうなんて思っていたら、チャンピオンに挑むための経験値なりレベルなりに到達するまでにすごく時間がかかるし、いざカイリューが出てきても1匹も倒せないかもしれないよね。

1匹のカイリューと戦うより100匹のコラッタと戦うほうが意味があるのです。勉強も同じ。

社会に出て即使えることだけを学ぶっていうのは実はとても難しい。

 

どうかな?この説明で勉強しなきゃいけない意味ってわかってもらえるだろうか?

勉強よりポケモンやりたくなりそうだけど。

 

それでは