既婚者と独身者と受験生
わたしは一年くらい前に結婚したんだけど、結婚した途端に独身の友達と話が合わなくなってしまった。
子どもができたら子どもの話ばかりになって…と言うのは聞いたことがあるけれど、それどころか結婚した瞬間合わなくなってしまった。
これが思ったより、しんどい。
思ってみれば、結婚すると、ライフスタイルが変化する。ライフスタイルが変わると、話したい内容も変化する。あたりまえのことだ。
独身だったときは、女二人で弾丸でどこどこに旅行に行こうだとか、オールでカラオケに行こうだとか、彼氏からプレゼントに何をもらっただ、こういうデートをしてあんなことを言われたからこんなことを言い返しただの、そういう話題が主だった。
それが今や、もっぱら大量にもらってしまったきゅうりをどうやって消費するかであったり、狭いスペースに洗濯物をうまく干す方法だとか、そうめんの茹で時間だのトマトのむき方だのと、そういうことになってしまうのだった。
多くの独身者にとって、多分きゅうりはどうでもいい。
多くの既婚者にとって、弾丸女二人旅行はいろんな意味で難しい。
だがしかし、こんなにも合わないものか?と考えたとき、これが何かに似ていると思った。
中学校やら高校やらの受験期。
周りは殺気立って勉強しているなか、自分は推薦で進学先が決まっている。
周りが進学先の話題でもちきりななか、自分は就職が決まっている。
似ている。
どちらが良いとか悪いとか、進んでるとか遅れてるとかじゃない。同じ一本のベクトルの端と端にいるとかじゃない。
立っているベクトルそのものが違うし、そもそもそのベクトルもそれぞれ違う方向を向いている。
同じ既婚者同士であったり、同じ受験生同士であったりすることは、たまたまそのベクトルが似たような方向を見ていたり、偶然にもそこで交わっているだけのこと。
つまり、違うもの同士ならなおさら、話が合わなくて当然なのだ。
そして話が合わないことは誰のせいでもない。
そのように考えることにした。
しんどいものはしんどい。が、そう感じるならそれなりの付き合いをすればいいのだと思う。
別にそうすることによって、友達が友達じゃなくなるわけじゃない。長い人生、そのうちベクトルが同じ方向を向くかもしれないし、交わるかもしれない。
と、ぼんやり考えた夜だった。
ところで、ベクトルって言葉の使い方、あってるのかしら。
それでは