三々五々

日常の中で考えたこととか、自分の生活の中で体験して得たこととかを発信していきたいと思います。

変化、そして失うもの

私たちは変化を嫌う。


変化はある意味で楽しいかもしれない。変化によって新しく得られるものがあるから。
けれど、新しいものと引き換えに、今持っているものを奪う可能性がある。
ゆえに、私たちは潜在的に、変化を嫌うと思う。
中には変化なんて怖くない、保守的でいる方が嫌、常に動いていたい、変わっていたいという人もいるけれど、そういう人にとってさえ、今持っているものを手放すということは多少なりとも難しいんではないだろうか。

 

その変化とは、例えば引っ越し。
転職。
結婚。
出産。

色々あるけれど、私が経験したのは引っ越しと転職と結婚。出産は、まだ経験していない。
経験していないけれど、おそらくこの中では最も大きな変化になるのではないかと思う。

 

今までの変化に関して言えば。
幸い引っ越しはほんの近所に過ぎなかったので、特に失ったものはなかった。どちらかといえば引っ越し前のほうが便利な立地ではあったけれど、それと引き換えに夜の静けさを手にいれたので、問題なし。
転職も、職種異動も含めると3回ほどしているけれど、幸い「前のほうがよかった」とは1度も感じることなく来た。
結婚も、一人の時間が失われるのではと懸念したが、夫が忙しい人なので0にはならずに済んだ。

これまでの変化で失ったものは、あるにはあったけれど(自分ひとりの部屋とか、いつでもペットの猫を撫でられる状態とか、駅まで徒歩5分とか、スーパーまで走って30秒とか)、そのどれも、ないならないでOK、というか、なくしてみたらなんともなかったものだった。

 

でも、出産したら、たぶん、その200倍くらいは失くすものがあるだろう。
今すぐ思いつく限りだと、趣味を好きなだけできる、いつでもベッドで一休みできる、洗濯は何日かに1回でOK、服はすぐたたまなくても大丈夫、好きな時に出かけられる、仕事が終わったら職場を急いで出なくても大丈夫、とかかしら。

多分、もっと色々なくすことになるでしょう。

 

そういうもの、なくしても私、大丈夫なのかな?と最近いつも考えていたのだけれど。

 

 


少し前、ハワイに旅行に行ってきた。
ハワイ旅行自体は3回目で、おおかた有名どころは回ったので今回は貧乏旅行にしようということで、ホテルではなくコンドミニアム、食事は基本スーパーで食材を買って自炊というのをやってみた。


さすがはアメリカ、だだっ広い部屋にキッチン、調理器具は一応ひととおり揃っているのだけれど、ふたを開けてみるとまあ使いづらいこと。
使い慣れていない道具ばかりなので仕方ないけれど、見知った調味料も、ない。
しょうゆ、酒、みりん、ない。使えるのは塩コショウだけ。
(正確には、買いに行けばポン酢ですらも手に入る。けど、短い旅行期間でそんなの買っても絶対に使いきれないから買えないのよ)

 

ある意味、いつもやっている料理というものをなにもかも失った状態でやることになったのだけれど、これが意外とできてしまう。
というか、やらなくても大丈夫なこと、なくても大丈夫なものが意外と多いということに気づく。


いつもは大きなまな板で包丁は三徳と牛刀を使い分けているけれど、まな板が小さくて包丁はペティナイフでも肉も野菜も切れるし、いつもはしょうゆもみりんも酒も使うけれど、全部塩だけでも十分おいしく作れてしまうのだ。


本当に、正真正銘、「これがないと絶対ムリ!!」みたいなものって、本気で数えたら一体いくつあるのか?と思ってしまった。

 


つまり、失くす前は失くすことを考えると惜しい。
でも、いざ失くしてしまうと、それはそれでなんとかなってしまうんだと思う。
もちろん、「多分大丈夫っしょ!」で軽率に失くして後で後悔するといかんので、本当に失くしても大丈夫かは本気で考える必要がある。


この、”本気で考える”というところが問題で、私たちは案外、「失くしたら困るだろうな」と思うものを条件反射で「失くすなんて無理!」と思ってキープしちゃってるだけで、”本気で”「失くしたらどうなるか」を考えてはいないんじゃないかと思う。

 

だから「変化する代わりに失くすか、変化せずに失くさないか」を考えるよりも、「失くしたくないものは本当に失くしたくないものなのか」「それを失くさないことで得られるメリットは、変化することで得られるであろうメリットより確実に重たいのか」を考えることが大事なんではないだろうか。


そういう視点で考えてみると、出産、もし経験することになったとしても、悪くないんじゃないかなと思う。

 

それでは